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あくまでも私の経験則ですが、「自分は一生懸命がんばっている」と言う人の7〜8割は、その次に必ず「それに比べて誰々は……」という言葉を続けます。こういう人に出会うと、率直に言って気持ちが悪いです。21日の日記でも書いたとおり、私は「比較」が嫌いです。 本当に一生懸命がんばっている人は、周りのことなんて眼中に入りません。がんばっていない人を見て、「私に比べて誰々は休んでばかりいる」などと言いません。そんな比較をしているよりも、自分の責任を果たすことで必死です。 本当に一生懸命がんばっている人は、「みんなも同じように一生懸命がんばっているだろう」という心で他人を見ます。「一生懸命がんばっているのは私だけだ」などという発想すら湧きません。 だから、「自分は一生懸命がんばっているけれども、誰々は一生懸命がんばっていない」と言う人は、実は自分が一生懸命がんばっていないことを公表しているのです。鏡の法則です。自分の鏡として、他人を見てしまうのです。 自分が本当に一生懸命がんばっているかどうかは、自分の良心が一番よく知っています。そして、良心のさらに奥底にいらっしゃる神様が知っています。だから、「自分は一生懸命がんばっている」などと、他人に言う必要なんてありません。言わなくても、他人には伝わるのです。なぜなら、神様は遍在する(どこにでもいらっしゃる)からです。 自分が一生懸命がんばっていることを知っている「自分の良心の中の神様」は、他人の良心の中にも臨在されるのです。だから、自分が本当に一生懸命がんばっているのなら、言葉に出さなくても、神様を通して必ず他人に伝わるのです。 ましてや、「誰々さんは一生懸命がんばっているのに、あなたはなぜ一生懸命がんばらないのですか」などと言ったら、恥をかきます。 「誰々さんが一生懸命がんばっていることは、みんなの良心が知っていますよ。もしかして、私の良心がそれを知らないとでも思っているんですか? 失礼しちゃいますね。そんなこと言っているヒマがあったら、まずご自分が一生懸命がんばったらどうですか?」 そんなふうに言い返されかねません。 大母様がおっしゃるような「寡黙に徹すること」は、なかなか難しいですが、やはり言葉は慎重に使いたいものです。せめて、ひと呼吸おいて、ちょっとでも祈ってから発言するような習慣を身に付けましょう。祈る習慣が身に付くと、霊的に敏感になります。 |
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正に天使長が愛の減少感を感じて、嫉妬していたのと同じですね。意外にも「あの人が・・・」と思っているときは自分の良い所が見えていないことが多いです。本当に自分の良い所が分かっていれば、そういった不満よりも尊重する心が先立ってくると思います。 |
haru 2008/06/29 13:53 |
トラブルの原因のほとんどが、愛の減少感ですね。 |
小林浩 2008/06/29 20:39 |
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