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客観的だと思われている科学も、実は宗教と同じように極めて主観的なものだということを述べてきました。むろん、当の科学者たちはそんなことを認めたくないでしょうが…。 特に、まだ科学哲学という研究分野が成果をおさめる以前には、科学万能主義が花盛りでした。科学は進歩し続ける、進歩すればいずれは何でもできる……、とまで考えていました。そしてついには、「科学にあらざれば学問にあらず」とまで言われるようになり、20世紀前半には「すべての学問を科学の下に統一しよう」という運動へと発展したのです。 この運動の先頭に立ったのが、ウィーン学団という科学者集団でした。ウィーン大学教授のモーリッツ・シュリックを中心に結成されたこのウィーン学団は、すべての学問を科学の理論によって記述することを目標にしました。彼らは、まず社会学を心理学の中に取り込み、次に心理学を生物学の中に、生物学は化学に、化学は物理学に取り込むことによって、すべての学問を科学と統一する、「統一科学」の実現を目指したのです。 ところが、カール・ヘンペルという哲学者が、こういった科学観を破壊し始めました。 科学が客観的だと信じられていた大きな理由の1つに、「確証」というものがあります。確証とは、仮説を確かなものだと証明する作業や、その証拠のことです。ヘンペルが言うには、その確証自体が実にあやふやなものだというのです。 詳細な説明は、哲学特有の難解な論説になるので割愛しますが、今までの説明でなんとなく理解できると思います。地球温暖化論者やミリカンなどのように、自分の仮説に都合のいいデータだけを確証にしてしまうことは、主観的な人間という生き物の特性上、仕方のないことでもあります。 確証の信頼性を指摘され、ゆらぎ始めた科学界に、救世主のように登場したのが、カール・ポパーという科学哲学者です。一般的に、科学哲学者は科学者たちに嫌われています。科学そのものを「ああだこうだ」と考え、「しょせん科学も人間の営みにすぎない、客観的にはなり得ない」と言い切るのが科学哲学だから、嫌われて当然です。ところがポパーは、「客観的で進歩し続ける科学」というイメージを守ることに成功したので、科学者たちに人気があります。 ヘンペルが言うように、確証の信頼性はありません。科学も主観的な人間の営みであるから、それを認めざるを得ません。このように確証の信頼性が得られない以上、「科学の仮説や理論の正しさは、決して証明できない」と考えるべきなのです。 そこでポパーが着目したのが、「反証」の方です。反証とは、確証と正反対のもの。仮説や理論を決定的に否定する作業や証拠です。つまりポパーは、「仮説が正しいこと」は証明できなくても、「仮説が正しくないこと」は証明できると考えたわけです。 そして、あらゆる角度からの反証をかいくぐって生き延びた仮説のみが、「科学的」という資格を得るとしました。もちろん、そうやって得た資格も、永遠のものではありません。いつ反証されるか分からないのです。この状態を、「反証可能性」といいます。いつでも反証される可能性があるということです。 ポパーは、ある仮説が科学的か否かを判断する基準として、この反証可能性を提案したのです。つまり、「反証可能性を持つ仮説は、科学的である」ということです。逆にいえば、「反証不可能性を持つ仮説は、非科学的である」というわけです。 分かり易い例で説明しましよう。 占い師によって、「山羊座の人は、今日、青い服を着ると恋愛運がアップする」という仮説が提示されたとします。この仮説を信じ、青い服を着て外出した山羊座の高校生A君は、女子高生が落とした定期券を拾いました。それを警察に届けたことをきっかけに、落とし主の女子高生と友達になることができました。A君は「占いが当たった(仮説が確証された)」と喜びました。 一方、山羊座の会社員B子さんも青い服を着て出勤しました。しかし、恋愛に発展するようなことは何も起きませんでした。B子さんは占星術師に抗議しました。そこで占い師はこう答えたのです。 「もしあなたが青い服を着ないで出勤していたら、仕事で大きなミスをして赤っ恥をかき、会社中の人々から嘲笑されたのです。そうすれば、もはや社内恋愛なんて永遠に望めなくなります。青い服を着たので、その難を逃れることができたのです。つまり、恋愛運は確実にアップした(仮説が確証された)のです」 占いや霊能力などが科学的ではないと考えられている理由は、このように確証だけを根拠にしているからです。いかに占いや霊のお告げがはずれようとも、いろいろな説明をほどこして、はずれたことさえも確証にしてしまうのです。つまり反証が一切できない状態、反証不可能性を持っているのです。 ところが科学の理論は、反証されたら即座に否定される可能性を常に持っています。例えば、ニュートン力学から導かれる「2008年8月1日、中国で2分27秒間の皆既日食が起きる」という仮説は、その日に観測すれば即座に反証される可能性を持っているので「科学的」なのです。 一方、占い師が主張する「2008年8月1日、中国に行けば素敵な出会いが待っている」という仮説は、いくら反証されても、先ほどの例のように、その反証を確証に変えてしまう無数の解釈が存在します。つまり反証不可能性を持っているため、「科学的ではない」ということになるのです。 同様にポパーは、精神分析学やマルクス主義も、反証不可能性を理由に「非科学的だ」と断罪しました。 このようにポパーは、反証可能性こそ科学の本質だと説明したのです。「科学とは、どうすれば反証できるかを明確に示している仮説」であるとも言えます。あるいは「いつでも、どこからでも反証してください」という潔い態度を示しているのが科学だとも言えましょう。 確証が科学の手段とはなり得ないとしながらも、厳しい反証試験によって仮説の当否を判定するというポパーの科学観は、「客観的で進歩し続ける科学」というイメージの崩壊を阻止したのです。 しかし、一度ほころびができると、なかなか元には戻らないものです。取り繕われた科学の客観性や進歩主義は、大きな見直しを迫られることになりました。そこから誕生したのがパラダイム論です。 原理講論が出版される時と前後して、ポパーやクーンなどの科学哲学者が登場したことは、「宗教と科学の統一」を成し遂げるために神様が準備した摂理だと思います。 |
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