パラダイムシフト 〜アヒルがウサギに見える日〜

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 愛の増大感

<<   作成日時 : 2008/11/17 20:53   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 13

何人もの兄弟姉妹が、愛の減少感によって信仰を失ってきました。愛の減少感は、神様から愛された実感がない心に発生します。寂しい心に芽を出します。

愛の減少感に支配されると、幸せそうな他人を嫉ましく思うようになります。容姿端麗な人気者、仲の良い家族・友人をもつ人々、有名校に進学した同級生、大きな実績をおさめた同僚、高い給料をもらっている上司……などなど、こういった人たちを憎らしく思うようになります。

次第に、思いが言動に現れてきます。たいていは、相対基準が合う人との悪なる授受作用(主に陰口)から始まります。不純な動機は自己正当化によって曇らされ、授受作用によって悪が繁殖します。霊的癌細胞の増殖です。最後は、自分たちの心が荒んで霊的に死んでしまいます。

インターネットは、この霊的癌細胞の増殖が飛躍的に起こり得る危険性を秘めています。相対基準が合う人を探しやすい環境だからです。至る所に「陰口コミュニティー」が存在しています。インターネットと信仰生活との関係は、いつも深刻に考えてください。


神様から愛された実感があれば、どんな相手からどんな仕打ちを受けても問題ありません。酷い仕打ちさえ、神様の愛だと感じてしまいます。酷いことをした人に、仕返しをしようなんて思いません。逆に感謝してしまいます。怨讐を愛してしまうのです。

昨日の日記「光の中へ」で「光の中に入ってしまえば、影が消滅する」と書きました。これと同じ原理で、「神様の愛の中に入ってしまえば、愛の減少感は消滅する」と言えます。

愛の減少感への対抗手段として、私は「愛の増大感」という言葉を使っています。「減少」の対義語は「増加」ですが、あえて「増大」を使っています。「語呂が良い」という理由と、「大きくなっていくイメージが良い」という理由です。

愛の増大感を得るには、「どんなことでも神様の愛だ」と考える習慣からスタートします。無事に起床できたら神様の愛、呼吸ができたら神様の愛、晴れたら神様の愛、雨が降っても神様の愛、食事をとれたら神様の愛、食事がとれなくても神様の愛、人から感謝されたら神様の愛、為に生きたのに誤解され怒鳴られても神様の愛……などなど。日常生活のすべての体験に対して、「神様から愛されたぁ〜!」と感じる努力が大切です。

その努力を続けると、時々刻々と神様から受ける愛が増大しているように感じてきます。神様からの愛が減少しているなんて、まったく感じなくなります。「今度はどんな愛をくださるのだろう」と、わくわくドキドキしながら生活できるようになります。

愛の増大感に包まれながら生活いたしましょう!


(追記)
日常生活における一般的な人間関係をシチュエーションにしています。
「殺人、暴行、強姦、拉致、監禁などの犯罪に巻き込まれても神様の愛なのか!」といった極端な反論は無しにしてください。

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
「愛の増大感」ってユニークな表現法だと思いました。 キャッチフレーズにして常に心の中で唱えると良いことが起こる気がしますね。
神様の愛の存在を、一点の疑いも無く信じれることが精誠なんだと思います。
光太郎
2008/11/17 23:11
もしかしたら、「愛の増大感の落し穴」とかいうのを次のテーマで揚げられるかもしれないとは思いつつも・・・一言二言。

光のど真ん中にいて、陰が無い状態の立場に立たされるのは、実に恐ろしいような気もします。

「好事魔多し」という言葉を誰が作ったかは知りませんが、そういう事があります。サンサンと照り輝く太陽のような光をも吸い込んでしまう程の大きな負のエネルギーが増大している所がが我々の気付かないうちに何処かに生じていて、気が付かない間にその中に封じ込められる事態が起こってくるのです。

これもそれも皆神の愛と感謝して喜んでばかりで個人的にあるいは家庭的組織的に発光体のように輝いてばかりはいられません。

どんなに大変でも喜んで感謝出来るときは、逆に暗いところ寂しいところに行って、飢えたところ汚いところに積極的に赴いて、低く低くなって申し訳ないぐらい不足の思いで少しでも奉仕していないと・・・一瞬先はとてつもない闇、崖っぷちだったりする場合があります。
力弁公二ダヨ
2008/11/18 03:18
「だから、我々統一教会は何をしなければならないか。審きである。神の世界の最後の審判が来る前に自分個人を審け! それは何を基準としてか、中心を基準としてである。中心とは何か、神を中心として、神を中心とするのに神の外的な事を心配してはいけない。あゝ地上関係とか、命令関係でもって審判してはなやない。神の心情を中心として審判せよ。問題は簡単ではない。だから今後の世界を動かす理想は何か、というと神に通じる心情主義である。その心情を中心としたところには平和はあらざるを得ない。」(イエス様の最後と我々の覚悟)
神の愛の本質は、神の心情。「光の中へ」
「神の心情へ」神の心情は、天国も地獄も、高い位置も低い位置にも光のように空気のように訪ねることができる。「神の心情に徹するその人は、神の国に残り得る、天国の民である。」(イエス様の最後と我々の覚悟)座右の銘にしています。記事「愛の増大感」に感謝!

松西寿三
2008/11/18 14:26
光太郎さん。ぜひキャッチフレーズにしてください。


力弁公二ダヨさん。
>光のど真ん中にいて、陰が無い状態の立場に立たされるのは、実に恐ろしいような気もします。

ご心配には及びません。「立場に立たされる」のではなく、「自らが立場に立つ」からです。その立場に立とうと努力した人しか、立つことができません。その立場に立った人は、そもそも謙虚で低姿勢です。どんなところにも喜んで訪ね、奉仕できます。


松西寿三さん。いつもありがとうございます。でき得れば、み言の引用部分の量よりも、ご自身文章を多くお願いします。(引用の原則)
小林浩
2008/11/18 18:51
引用についてのご指摘に感謝です。
松西寿三
2008/11/18 19:07
ご心配には及びません・・・どんなところにも喜んで訪ね、奉仕できます。・・・だなんて、
スゴイ確信というか自信と断言!

でも、ほんとうに、どんなところにも喜んで訪ね、奉仕できるのでしょうか?

特に単調なパターンの繰り返しや人の目にはほとんど知られざる裏方のような縁の下のような神のみぞ知るような誤解され無視される理解されないような(お父様のことなど思いながら・・・)立場とかだったりしたらどれくらいの期間、喜んで奉仕できるでしょうか。

実際5W1H というのは、ひとつ抜けていると思います。How long が・・・。

日常生活の一般的な人間関係をシチュエーションにしています。・・・というのは、神、(全)世界、天宙、真理を語っているのにもかかわらず、何となくあいまいな逃げ穴のような感じもしますが。

反論や批判でなくもっと明確に確認したいだけですので、もう少しお考えくださいませ。

力弁公二ダヨ
2008/11/19 01:17
愛の増大感!いいですね。
使わせていただきます^^
まめ
2008/11/19 01:57
力弁公二ダヨさん。
>スゴイ確信というか自信と断言!

だってそうでしょう? 自分が神様の愛の中に入ってしまったら、そうなるでしょう? そうならなければ神様の愛なんて嘘、そんな愛なんか無いことになりますよ?

私がそういう人間になっていると言っているわけでもありませんし、傲慢になれと言っているわけではありませんし、苦しみに無感覚になれと言っているわけでもありません。愛の増大感を得る努力をしましょう、と言っています。

努力をする過程には、さまざまな苦労があるのは当然です。喜んで奉仕しても、ある期間で疲れ悩み苦しむようになるのも当然です。それは努力の過程だからです。

力弁公二ダヨさんは、神の愛の中に入る「努力の過程」と、神の愛の中に入った「結果の状態」を、混同して読み解かれていると思います。

>もう少しお考えくださいませ。

よく考えた上で書いています。力弁公二ダヨの方も、ぜひよく読んでからコメントしてくださいませ。
小林浩
2008/11/19 08:02
まめさん、ぜひ使ってください!
小林浩
2008/11/19 08:12
苦人参さんへ。コメントを削除しました。書き込みをご遠慮ください。ご意見は「メッセージを送る」からお願いします。
小林浩
2008/11/20 07:47
◎小林様

「愛の増大感」。いいですね。

「あっ!また増大した。」
「好し好し、増大したぞ…。」

そんな感じで(自己満足でなく)
日々1つでも、増大感を増し加
えていきたいです。(^-^)
ヒロシ
2008/11/20 18:11
自戒と反省を込めて書きます。

>特に単調なパターンの 〜中略〜 喜んで
>奉仕できるでしょうか

単調なパターンの繰り返しに見えていても
そこには必ず、何らかの変化があると思い
ます。その様な変化と丁寧に触れ合うよう
努めれば、色々な事を学んで、着実に成長
していくことが可能になると思います。

そして、縁の下の力持ちはスポットライト
を浴びる事がないかもしれませんし、大切
な役割を担っていても、注目される事がな
いかもしれません。それでも、その重要性
に代わりはないと思うのです。
ヒロシ
2008/11/20 18:14

黙々と責務を果たす人がいるから、事態が
潤滑に進むんだと思います。であるとすれ
ば誰かを支えている(支える事が出来る)
その手は、有り難いと思います。

また努力とは、他人に見られる(見てもら
う)事、認められる(認めてもらう)こと
ではなく、神様・父母様(子女様)と共に
「自分を大切にする事」じゃないかと感じ
るのです。

そう考えると、やはり、どんな所でも、
どの瞬間にも、感謝はちりばめられて
いるんだと思います。

偉そうなこと書きましたが、私にとっては
「言うは易く行うは難し」でもあるので、
そこが私の課題ですね。(^^;
ヒロシ
2008/11/20 18:15

コメントする help

ニックネーム
本 文