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前回の日記で、「見られること」によって改革を進める地方議会の話を書きました。開放系の原理をうまく使った改革です。このような観点で宗教をみたとき、実は宗教こそ「真の開放系」であることが分かります。 教義は微妙に異なったとしても、神と霊界の存在を認めるのが宗教です。むろん、宗教によって「神」とか「霊界」という呼称は異なりますが、とにかく普遍的にそういった存在を認めることが宗教においては一般的です。ここでは「神」「霊界」という呼称で話を進めます。 つまり宗教は、私たちの身体が存在する世界(物理学では4次元時空間、統一原理では有形実体世界または地上世界)とは異なる世界を認めているわけです。そしてその世界は、私たちの身体が存在する世界よりも「次元が高い」のです。神や霊界は、5次元以上の世界です。 2次元の世界(面)のことは、3次元以上の世界からは丸見えです。私たちも3次元以上の存在ですから、今ご覧のパソコン画面(2次元)の上に書かれた文字が読めます。仮にパソコン画面に生物が住んでいたら、その生物がパソコン画面に書かれた文字を読むことは極めて困難です。 同様に、私たちは私たちの心と身体のすべてを見ることは困難です。しかし神や霊界からは、私たちの心と身体が丸見えだということです。いやあ〜、プライバシーなんてあったものではありません。すべて見られているわけです。 私たちが良いことをしていても見られているし、悪いことをしても見られています。教義の違いこそあれ、宗教はそういう観点(4次元時空間を超越した観点)で人生を見つめるように説くのです。 ですから、地上の人は誰も見ていない場所でも善を行なうことができます。「あの人が見ているから良いことをしよう」というパフォーマンスで善行するのではなく、「神さまやご先祖さまがご覧になっている」と信じているから善行を積むのです。 逆に、「地上の人は誰も見ていないから悪いことをしてしまえ」という発想を宗教者はできないわけです。どんな場所でも、必ず神や霊界が見ていることを知っているからです。 こういう生活を送っていくから、宗教者は人格が立派になっていくのです。まさに「見えない存在に見られている」という「真の開放系による人格革命」をしているのです。 |
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ユニークな思想が花開きましたね。アージュ |
松西寿三 2009/01/14 14:06 |
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