論理学の証明問題は苦手だった有田芳生参議院議員
有田芳生参議院議員が私に対して書いてくださった長文コメントは、前回の日記で紹介しきれませんでした。いやあ、こんなにたくさんコメントしてくださるなんて光栄です。残りの部分についても、しっかり返信させていただきます。
そもそも私が有田議員に忠言したきっかけは、議員のブログにおける下記の記述でした。
(注:例によって、上記リンクはウェブ魚拓です。何度も修正されて、引用箇所を消されたら困るので、証拠としてウェブ魚拓を取得しています。実際に、また修正されていました。実際のブログはこちら。)
(引用はじめ)
文書は私が米本さんを統一教会を利するという意味で「御用ライター」だと評価することを「虚偽」だとする。冗談ではない。虚偽ではなく事実である。根拠をいくつか示そう。
(1)統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では教会関連書籍が販売されている。そこには統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)を批判する米本さんの『我らの不快な隣人』が平積みされている。発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったが、キャンペーンが行われるようになってからは、大量に購入するようになった。
(引用おわり)
弊社の「愛美書店」に米本氏の著書が平積みされていると言及されておられたので、「現在は平積みされていないですよ」と忠言したのです。ところが有田議員によれば、この「いる」は補助動詞で、
最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない。
というご高説を賜りました。理系の私にはなんだかよく分からないけれども、『日本国語大辞典』に基づく崇高なご高説であるから正しいんでしょう。ともかく有田議員は、初めから現在は平積みされていないことを知っていながら「過去に平積みされていた」という意味で「平積みされている」と書いたと言うわけです。さすが、「とことん現場主義」です。
また、弊社の社員ですらほとんど知らなかった事実……『脱会』が愛美書店に置かれていたこと……についても、千里眼のごとく「百も承知」と軽く受け流し、下記のようにコメントしてくださいました。
(引用はじめ)
「愛美書店」で販売されていたから私も統一教会の「御用ライター」だとうれしそうだ。平常な思考があるならば低俗な詭弁だと容易にわかる水準の「忠言」だ。「愛美書店」が米本さんの著作を置いていたのは、統一教会の信者たちに肯定的に普及するためである。『脱会』を置いていたのは、統一教会に反対する私たちを批判・警戒するためのテキストとしてである。文脈が読めない懲りない面々である。狙いは問題を枝葉末節にすり替えることである。
(引用おわり)
別に私は、『脱会』が愛美書店で販売されていたから有田議員も「統一教会御用ライター」だと断定したわけではありません。ちゃんと、次のように疑問文として書いています。
そういえば愛美書店では、以前、有田芳生参議院議員のご著書『脱会』も平積みにしていたこともありましたので、ご自身の理屈では有田芳生参議院議員も「統一教会御用ライター」ということになるのでしょうか?(笑)
もちろん「うれしそう」などと思われるのも心外です。有田議員が統一教会御用ライターだなんて、うれしいどころか「気持ち悪い」です。(^_^;)
もしかしたら、(笑)と書いたから「うれしそう」と読み解いたのでしょうか? 文脈が読めない懲りない先生…じゃなくて、さすが正当派文系ジャーナリストの奥深い読解力! 敬服します。
私は単に、「有田議員の文章論理(理屈)を用いたら、ご本人も御用ライターになるのではないでしょうか?」という意味で書いたまでです。理系の文章は高級文学じゃないので、分かりにくいのでしょうねえ。どうもすみません。
しかるに、今回追加された赤字コメントでは、「愛美書店に置かれていたから御用ライターだ」という論理なのではなく、「置かれていた目的」がポイントなのだと解説してくださいました。なるほどなるほど、納得です。「置かれていた」という存在論的読解ではダメなんだ。「置かれていた目的」まで考慮する目的論的読解をしなくてはならなかったのですね。う~ん、これはもう高級文学というよりも、哲学の世界に突入しますね。ハイデガー並みです。素晴らしい!
では有田議員に質問です。愛美書店に『我らの不快な隣人』が平積みされた目的が「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」であり、『脱会』が平積みされた目的が「統一教会に反対する私たち(有田議員とその不愉快な仲間たち)を批判・警戒するため」であると、どのようにして「現認」もしくは「確認」したのでしょうか?
「そんなことは当り前だろう。統一教会御用ライターの米本氏が書いた本だから肯定的に普及するために平積みし、統一教会を批判するライターの私が書いた本だから批判・警戒するために平積みにしたのだ!」
こんな答えは無しですよ。これじゃあトートロジーです。
そもそもの出発点は、米本氏が統一教会御用ライターであるとする根拠として、「愛美書店における米本氏著書の平積み」を示されたことです。しかし、平積みされたことだけが根拠として薄いことを私に指摘されたので(じゃなくて、指摘される前から分かっていたけれどもあえて書かなかった高級文学なので)、「置かれていた目的」が「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」だと説明したのです。
ですから、「平積みされた目的」を「現認」もしくは「確認」した根拠として、「それは統一教会御用ライターの米本氏が書いた本だからだ!」というのでは、トートロジーであって何の証明にもなりません。
理系でなくてもトートロジーくらい知ってますよね。同義語反復です。
・米本氏は統一教会御用ライター。
・根拠は、愛美書店に著書が平積みされていたから。
・平積みの目的は、統一教会員に肯定的普及をするため。
・その目的が分かる根拠は、米本氏が統一教会御用ライターだから。
こういう論理展開で、元に戻ってしまいます。何の証明にもなりませんので、あしからず。
「平積みされていた目的」は、「平積みした主体」に確認するしかありません。その「主体」は愛美書店であり、その経営者である私です。私は『我らの不快な隣人』を「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」に平積みしたのではありません。『脱会』を「統一教会に反対する私たちを批判・警戒するため」に平積みしたのでもありません。ちゃんと、次のように書いています。
お客様から「買いたい」という声があったので平積みにしていた時期もあったのです。(中略)
書店の経営なんて、こんなもんですよ。売れる物を仕入れて置くんです。売れない本は置かないんです。
「そんなこと、嘘に決まってるだろう!」と言うのは無しですよ。どうして、私の心の中まで分かるのでしょうか。もし嘘だと言うのなら、それ相応の論理学的証明がなされなければなりません。
ちなみに、『我らの不快な隣人』を置くようになった経緯は、こんな感じでした。
弊社営業部長が私のところへ来て言いました。
「最近、お客様数人から、『我らの不快な隣人』を愛美書店で買えないのですか? と聞かれます。何冊か仕入れて置いても良いでしょうか?」
「う~ん、でもあの本、かなり教会の批判も書かれているよ。やめておいたほうがいいんじゃないか?」と私。
「しかし、本部も拉致監禁問題の解決に力を入れてきていますから、教会批判はあっても売れると思います」
「そう? 営業部長が売れると思うなら、置いてみたら。でも、あまり仕入れないようにね。10冊くらいにしておいて」
実際に、そのとき日本出版販売(略称:日販、本の問屋のような所)から仕入れた伝票です。営業部長はちゃんと私の指示を守って、10冊だけ仕入れています。
「送品伝票」とありますが、送ってもらったものではありません。弊社からわざわざ日販に出向いて仕入れるのです。弊社書店くらいの小さな店には、配送なんてしてくれないんです。このように自社商品ではない書籍は、交通費を使って仕入れに行くのです。ですから売れない本は仕入れないよう、細心の注意を払うのです。弊社書店は「図書館」ではないですからね、売れなきゃ困るのです。
有田議員は、私が米本さんに便宜を計ったと言われますが、私は米本氏に便宜など計っていません。単に「売れる」と判断したから仕入れただけです。米本氏に便宜を計ったところで、弊社の経営がよくなるわけでもありません。
それで、実際には売れたのか? 残念ながら、そんなに売れませんでした。前々回に「愛美書店で50冊くらい売れた」と書きましたが、申し訳ありません、あれは「勘」で書きました。実際に経理で保管している伝票を引っ繰り返して調べたら、今回掲載したもの1枚のみでした。
つまり、平積みといっても、たった10冊だったわけです。あらら、米本さん、申し訳ありませんねえ。10冊仕入れて、約半年で10冊完売。とても有田議員がおっしゃるような「大量に購入するようになった」というレベルではないですねえ。(笑)
「とことん現場主義」を貫くなら、もう少し客観的な数値データを「確認」してからモノを書いたらいかがでしょうか? まあ、文系さんは数字が苦手ですけどね。でも、裁判になるかもしれない発言の根拠を示すのだから、日販に足を運んで納入伝票を「現認」してきてから「大量に購入するようになった」と書くべきでしたね。今からでも遅くないので、ぜひ日販に「確認」してください。想像や憶測でモノを書くのは、高級文学作品だけにしてくださいませ。
有田議員は、米本氏と「とある女性」との関係を縷々述べた上で、私への赤字コメントを次のように締めくくっています。
(引用はじめ)
不本意ながらこんなことまで書かざるをえないのは、米本さんが統一教会別動隊の尾行・盗聴専門の謀略グループ「白い旅団」と連動しているからだ。(中略)米本さんの手記を「光言社」から出版して「愛美書店」に平積みすることを提言する。
(引用おわり)
この提言は却下ですねえ。弊社の営業部長よりセンスがないですよ。そんなわけの分からない謀略グループだの米本さんの女性関係だの、「かつて有田議員の原稿が掲載されていた三流週刊誌」みたいな本を愛美書店に平積みにしたって、売れません。売れないものは置かないんです。これが弱小書店の経営セオリーです。政権与党に属する国会議員がこんなセンスで、果たして国家の経営ができるのか、大いに疑問です。
以下は私の「推測」ですが、有田芳生参議院議員がおっしゃる「統一教会御用ライター」の定義は、広辞苑から解釈される一般的意味の「統一教会の保護を受け、統一教会を擁護するライター」ではないのだと思います。次のような意味で使っているのでしょう。
「反統一教会の人々の主張を否定し、反統一教会の人々に不利益をもたらすライター」
有田議員を初めとする反統一教会の人々の多くは、統一教会員が拉致監禁された事件について、「実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為」と述べています。かたや米本氏は、実際に拉致監禁があったことを取材して暴露しています。だから困るわけです。
つまり、米本氏は「統一教会御用ライター」ではなく、「反統一教会反御用ライター」と呼ぶほうが正確なのだと思います。「統一教会御用ライター」というのは、私のようなライターを指すのです。私は統一教会の批判を一切書きませんし、統一教会員がいなくては弊社の経営が成り立ちません。米本氏は、統一教会の批判もしますし、統一教会員がいなくても生活には全然困らないでしょう。
いかがでしょうか、有田議員。今後は米本氏について「反統一教会反御用ライター」と呼べば、裁判沙汰にならなくて済むと思いますよ。
長々と書きましたが、結論は下記の通りです。
1)有田議員は、「米本氏が統一教会御用ライターである」とする根拠として、「米本氏の著書が愛美書店に平積みされている(いた)」と述べているが、それだけでは根拠にならない。有田議員の著書も平積みされていたので、この論理ではご自身も統一教会御用ライターとなってしまう。
2)有田議員は、米本氏の著書が愛美書店に平積みされた目的を「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」と述べ、統一教会御用ライターである根拠とした。しかし、「愛美書店(の意志決定者たる私)がそのような目的で平積みしたこと」を証明していないため、米本氏が統一教会御用ライターであることの根拠にならない。
3)有田議員は、愛美書店が米本氏の著書を「大量に購入するようになった」と述べ、「米本氏が統一教会御用ライターである」とする根拠にしている。しかし、実際には10冊しか販売されていないため、根拠にはならない。10冊は大量とは言えない。
したがって、有田議員が「米本氏は統一教会御用ライターである」と断定した5つの根拠のうちの1つ、(1)統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では……云々については、根拠となり得ないことが証明される。
証明おわり。
高級文学はお得意でも、論理学の証明問題は苦手だったようですね。でも文系なので、そんなに気にする必要はないですよ。(笑)
参考図書
そもそも私が有田議員に忠言したきっかけは、議員のブログにおける下記の記述でした。
(注:例によって、上記リンクはウェブ魚拓です。何度も修正されて、引用箇所を消されたら困るので、証拠としてウェブ魚拓を取得しています。実際に、また修正されていました。実際のブログはこちら。)
(引用はじめ)
文書は私が米本さんを統一教会を利するという意味で「御用ライター」だと評価することを「虚偽」だとする。冗談ではない。虚偽ではなく事実である。根拠をいくつか示そう。
(1)統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では教会関連書籍が販売されている。そこには統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)を批判する米本さんの『我らの不快な隣人』が平積みされている。発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったが、キャンペーンが行われるようになってからは、大量に購入するようになった。
(引用おわり)
弊社の「愛美書店」に米本氏の著書が平積みされていると言及されておられたので、「現在は平積みされていないですよ」と忠言したのです。ところが有田議員によれば、この「いる」は補助動詞で、
最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない。
というご高説を賜りました。理系の私にはなんだかよく分からないけれども、『日本国語大辞典』に基づく崇高なご高説であるから正しいんでしょう。ともかく有田議員は、初めから現在は平積みされていないことを知っていながら「過去に平積みされていた」という意味で「平積みされている」と書いたと言うわけです。さすが、「とことん現場主義」です。
また、弊社の社員ですらほとんど知らなかった事実……『脱会』が愛美書店に置かれていたこと……についても、千里眼のごとく「百も承知」と軽く受け流し、下記のようにコメントしてくださいました。
(引用はじめ)
「愛美書店」で販売されていたから私も統一教会の「御用ライター」だとうれしそうだ。平常な思考があるならば低俗な詭弁だと容易にわかる水準の「忠言」だ。「愛美書店」が米本さんの著作を置いていたのは、統一教会の信者たちに肯定的に普及するためである。『脱会』を置いていたのは、統一教会に反対する私たちを批判・警戒するためのテキストとしてである。文脈が読めない懲りない面々である。狙いは問題を枝葉末節にすり替えることである。
(引用おわり)
別に私は、『脱会』が愛美書店で販売されていたから有田議員も「統一教会御用ライター」だと断定したわけではありません。ちゃんと、次のように疑問文として書いています。
そういえば愛美書店では、以前、有田芳生参議院議員のご著書『脱会』も平積みにしていたこともありましたので、ご自身の理屈では有田芳生参議院議員も「統一教会御用ライター」ということになるのでしょうか?(笑)
もちろん「うれしそう」などと思われるのも心外です。有田議員が統一教会御用ライターだなんて、うれしいどころか「気持ち悪い」です。(^_^;)
もしかしたら、(笑)と書いたから「うれしそう」と読み解いたのでしょうか? 文脈が読めない懲りない先生…じゃなくて、さすが正当派文系ジャーナリストの奥深い読解力! 敬服します。
私は単に、「有田議員の文章論理(理屈)を用いたら、ご本人も御用ライターになるのではないでしょうか?」という意味で書いたまでです。理系の文章は高級文学じゃないので、分かりにくいのでしょうねえ。どうもすみません。
しかるに、今回追加された赤字コメントでは、「愛美書店に置かれていたから御用ライターだ」という論理なのではなく、「置かれていた目的」がポイントなのだと解説してくださいました。なるほどなるほど、納得です。「置かれていた」という存在論的読解ではダメなんだ。「置かれていた目的」まで考慮する目的論的読解をしなくてはならなかったのですね。う~ん、これはもう高級文学というよりも、哲学の世界に突入しますね。ハイデガー並みです。素晴らしい!
では有田議員に質問です。愛美書店に『我らの不快な隣人』が平積みされた目的が「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」であり、『脱会』が平積みされた目的が「統一教会に反対する私たち(有田議員とその不愉快な仲間たち)を批判・警戒するため」であると、どのようにして「現認」もしくは「確認」したのでしょうか?
「そんなことは当り前だろう。統一教会御用ライターの米本氏が書いた本だから肯定的に普及するために平積みし、統一教会を批判するライターの私が書いた本だから批判・警戒するために平積みにしたのだ!」
こんな答えは無しですよ。これじゃあトートロジーです。
そもそもの出発点は、米本氏が統一教会御用ライターであるとする根拠として、「愛美書店における米本氏著書の平積み」を示されたことです。しかし、平積みされたことだけが根拠として薄いことを私に指摘されたので(じゃなくて、指摘される前から分かっていたけれどもあえて書かなかった高級文学なので)、「置かれていた目的」が「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」だと説明したのです。
ですから、「平積みされた目的」を「現認」もしくは「確認」した根拠として、「それは統一教会御用ライターの米本氏が書いた本だからだ!」というのでは、トートロジーであって何の証明にもなりません。
理系でなくてもトートロジーくらい知ってますよね。同義語反復です。
・米本氏は統一教会御用ライター。
・根拠は、愛美書店に著書が平積みされていたから。
・平積みの目的は、統一教会員に肯定的普及をするため。
・その目的が分かる根拠は、米本氏が統一教会御用ライターだから。
こういう論理展開で、元に戻ってしまいます。何の証明にもなりませんので、あしからず。
「平積みされていた目的」は、「平積みした主体」に確認するしかありません。その「主体」は愛美書店であり、その経営者である私です。私は『我らの不快な隣人』を「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」に平積みしたのではありません。『脱会』を「統一教会に反対する私たちを批判・警戒するため」に平積みしたのでもありません。ちゃんと、次のように書いています。
お客様から「買いたい」という声があったので平積みにしていた時期もあったのです。(中略)
書店の経営なんて、こんなもんですよ。売れる物を仕入れて置くんです。売れない本は置かないんです。
「そんなこと、嘘に決まってるだろう!」と言うのは無しですよ。どうして、私の心の中まで分かるのでしょうか。もし嘘だと言うのなら、それ相応の論理学的証明がなされなければなりません。
ちなみに、『我らの不快な隣人』を置くようになった経緯は、こんな感じでした。
弊社営業部長が私のところへ来て言いました。
「最近、お客様数人から、『我らの不快な隣人』を愛美書店で買えないのですか? と聞かれます。何冊か仕入れて置いても良いでしょうか?」
「う~ん、でもあの本、かなり教会の批判も書かれているよ。やめておいたほうがいいんじゃないか?」と私。
「しかし、本部も拉致監禁問題の解決に力を入れてきていますから、教会批判はあっても売れると思います」
「そう? 営業部長が売れると思うなら、置いてみたら。でも、あまり仕入れないようにね。10冊くらいにしておいて」
「送品伝票」とありますが、送ってもらったものではありません。弊社からわざわざ日販に出向いて仕入れるのです。弊社書店くらいの小さな店には、配送なんてしてくれないんです。このように自社商品ではない書籍は、交通費を使って仕入れに行くのです。ですから売れない本は仕入れないよう、細心の注意を払うのです。弊社書店は「図書館」ではないですからね、売れなきゃ困るのです。
有田議員は、私が米本さんに便宜を計ったと言われますが、私は米本氏に便宜など計っていません。単に「売れる」と判断したから仕入れただけです。米本氏に便宜を計ったところで、弊社の経営がよくなるわけでもありません。
それで、実際には売れたのか? 残念ながら、そんなに売れませんでした。前々回に「愛美書店で50冊くらい売れた」と書きましたが、申し訳ありません、あれは「勘」で書きました。実際に経理で保管している伝票を引っ繰り返して調べたら、今回掲載したもの1枚のみでした。
つまり、平積みといっても、たった10冊だったわけです。あらら、米本さん、申し訳ありませんねえ。10冊仕入れて、約半年で10冊完売。とても有田議員がおっしゃるような「大量に購入するようになった」というレベルではないですねえ。(笑)
「とことん現場主義」を貫くなら、もう少し客観的な数値データを「確認」してからモノを書いたらいかがでしょうか? まあ、文系さんは数字が苦手ですけどね。でも、裁判になるかもしれない発言の根拠を示すのだから、日販に足を運んで納入伝票を「現認」してきてから「大量に購入するようになった」と書くべきでしたね。今からでも遅くないので、ぜひ日販に「確認」してください。想像や憶測でモノを書くのは、高級文学作品だけにしてくださいませ。
有田議員は、米本氏と「とある女性」との関係を縷々述べた上で、私への赤字コメントを次のように締めくくっています。
(引用はじめ)
不本意ながらこんなことまで書かざるをえないのは、米本さんが統一教会別動隊の尾行・盗聴専門の謀略グループ「白い旅団」と連動しているからだ。(中略)米本さんの手記を「光言社」から出版して「愛美書店」に平積みすることを提言する。
(引用おわり)
この提言は却下ですねえ。弊社の営業部長よりセンスがないですよ。そんなわけの分からない謀略グループだの米本さんの女性関係だの、「かつて有田議員の原稿が掲載されていた三流週刊誌」みたいな本を愛美書店に平積みにしたって、売れません。売れないものは置かないんです。これが弱小書店の経営セオリーです。政権与党に属する国会議員がこんなセンスで、果たして国家の経営ができるのか、大いに疑問です。
以下は私の「推測」ですが、有田芳生参議院議員がおっしゃる「統一教会御用ライター」の定義は、広辞苑から解釈される一般的意味の「統一教会の保護を受け、統一教会を擁護するライター」ではないのだと思います。次のような意味で使っているのでしょう。
「反統一教会の人々の主張を否定し、反統一教会の人々に不利益をもたらすライター」
有田議員を初めとする反統一教会の人々の多くは、統一教会員が拉致監禁された事件について、「実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為」と述べています。かたや米本氏は、実際に拉致監禁があったことを取材して暴露しています。だから困るわけです。
つまり、米本氏は「統一教会御用ライター」ではなく、「反統一教会反御用ライター」と呼ぶほうが正確なのだと思います。「統一教会御用ライター」というのは、私のようなライターを指すのです。私は統一教会の批判を一切書きませんし、統一教会員がいなくては弊社の経営が成り立ちません。米本氏は、統一教会の批判もしますし、統一教会員がいなくても生活には全然困らないでしょう。
いかがでしょうか、有田議員。今後は米本氏について「反統一教会反御用ライター」と呼べば、裁判沙汰にならなくて済むと思いますよ。
長々と書きましたが、結論は下記の通りです。
1)有田議員は、「米本氏が統一教会御用ライターである」とする根拠として、「米本氏の著書が愛美書店に平積みされている(いた)」と述べているが、それだけでは根拠にならない。有田議員の著書も平積みされていたので、この論理ではご自身も統一教会御用ライターとなってしまう。
2)有田議員は、米本氏の著書が愛美書店に平積みされた目的を「統一教会の信者たちに肯定的に普及するため」と述べ、統一教会御用ライターである根拠とした。しかし、「愛美書店(の意志決定者たる私)がそのような目的で平積みしたこと」を証明していないため、米本氏が統一教会御用ライターであることの根拠にならない。
3)有田議員は、愛美書店が米本氏の著書を「大量に購入するようになった」と述べ、「米本氏が統一教会御用ライターである」とする根拠にしている。しかし、実際には10冊しか販売されていないため、根拠にはならない。10冊は大量とは言えない。
したがって、有田議員が「米本氏は統一教会御用ライターである」と断定した5つの根拠のうちの1つ、(1)統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では……云々については、根拠となり得ないことが証明される。
証明おわり。
高級文学はお得意でも、論理学の証明問題は苦手だったようですね。でも文系なので、そんなに気にする必要はないですよ。(笑)
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